エッセイ · 嗅覚アート
アニカ・イ「You Can Call Me F」。
Anicka Yi. You Can Call Me F.
匂いは生のしるし。汚れのしるしではない。
百のサンプル
2015年の初め、アニカ・イは仕事上のネットワークから百人の女性を招いた。アーティスト、キュレーター、批評家、ディーラー、コレクター。彼女はそれぞれに、自分の身体の生物学的サンプルを提供するよう頼んだ。
サンプルは、当時MITで博士研究員をしていた合成生物学者タル・ダニーノのもとへ送られた。彼の指導のもと、百人の細菌はひとつのコロニーとしていっしょに培養された。イはそれを「集合的な細菌」と呼んだ。
イは1971年にソウルで生まれ、カリフォルニアで育ち、ニューヨークで制作している。科学者としての訓練は受けていない。けれど彼女の実践は長く、生きた素材や朽ちる素材を使ってきた。細菌、食べ物、揚げ油、石けん、匂い。変化し、腐り、境界を越えて広がるもの。
現場としての部屋
「You Can Call Me F」はニューヨークの The Kitchen で開かれ、2015年3月5日から4月11日まで、ルミ・タンのキュレーションで展示された。空間は鑑識の現場のように、何かが広がったばかりの場所としてしつらえられた。
入口には大きな看板が立っていた。実際には、集合的な細菌を収めた巨大なペトリ皿だった。その形は、スティーブン・ソダーバーグの2011年のパンデミック映画「Contagion」の宣伝用の装置から借りたもの。細菌は会期中ずっと育ちつづけた。看板は日ごとに少しずつ違って見えた。
なかでは、訪れる人が隔離テントのあいだを歩いた。テントの壁は、なかを部分的にしか見せない。それぞれのテントにイの彫刻があった。工業素材と有機物でできた、外から守られるべき小さな生態系のように。あるいは、それらから守られるべき外のように。
ネットワークの匂い
展示のなかで最も見えない部分は、その匂いだった。部屋のディフューザーが、イがショーン・ラスペットらの協力者とともにつくった香りを放っていた。そこには二つのものが合わさっていた。百人の女性の集合的な細菌と、アート界で最大級の力をもつギャラリーのひとつ、ガゴシアンのかすかな匂い。
二つのネットワークをひとつの匂いのなかに並べることは、政治的な身ぶりだ。一方には、小さく非公式なものと見なされがちな女性たちのネットワーク。もう一方には、多くの人がアート界における男性的な権力の象徴と見るギャラリーのモデル。空気のなかで、両者はもう区別できない。
The Kitchen の告知によれば、イは、感染と衛生をめぐって社会に広がる不安を、より古い恐れの隣に置こうとした。フェミニズムへの恐れ、そして女性のネットワークの強さへの恐れ。集合的な細菌は、病原体としての女性の像になった。つねに封じ込められ、無力化されようとする女性の像に。
開かれたF
タイトルはFを説明しない。訪れる人が自分で埋める。女性(female)、フェミニズム(feminism)、あるいは別の何か。その開かれ方は、部屋の匂いに重なる。そこにあり、間違えようがなく、ラベルがない。
2015年は、フェミニストという言葉がポップカルチャーに戻ってきた時期でもあった。しばしばマーケティングの道具として。そしてバイラルという言葉は、人が望み、同時に恐れるものを名指していた。「You Can Call Me F」は、その意味のあいだに立っていた。
この展示のあと、イは2016年にヒューゴ・ボス賞を受賞し、微生物と匂いと機械を使った、より大きな規模の制作へ進んだ。それでも「You Can Call Me F」は画期として残る。生き、育ち、匂うことを許された、現代アートのホワイトキューブ。