エッセイ · 嗅覚アート
クララ・ウルシッティ「Self-Portrait in Scent, Sketch no. 1」。
Clara Ursitti. Self-Portrait in Scent, Sketch no. 1.
顔のない肖像。
絵のかわりに部屋を
1994年、クララ・ウルシッティは小さな部屋をつくった。作品のために特別に建てられ、電子扉がついていた。なかの壁には何も掛かっていなかった。像も、文字も、彫刻もない。
部屋にあったのは、人感センサーをつけた香りのディスペンサーだけだった。誰かが足を踏み入れると、機械がそれを感知し、空気中に香りを放つ。訪れる人は空っぽの空間に立ち、そこで出会うのは匂いだった。
ウルシッティはこの部屋を「Self-Portrait in Scent, Sketch no. 1」と名づけた。香りは合成されたものだった。アーティスト本人の代わりとなるようにつくられていた。
同じ年、作品は「New Art in Scotland」で、グラスゴーの Centre for Contemporary Arts とアバディーン市立美術館に展示された。その後、ハンガリー・ブダペストのバルトーク・ギャラリーへ巡回した。
見られる必要のない肖像
自画像は、西洋絵画で最も古いジャンルのひとつだ。画家は鏡をのぞき、見えるものを描く。顔、まなざし、姿勢。観る者はカンバスの前に立ち、見返す。このジャンル全体が、目の上に成り立っている。
ウルシッティは目を外に置いてくる。訪れる人に自分を見せない。嗅がせる。
それは関係を変える。絵を見ることは、絵から少し距離をとって立つことだ。何かを嗅ぐことは、その距離を失うことだ。香りは訪れる人の鼻に、肺に、身体に入る。もう肖像の前に立ってはいない。そのなかに立っている。
だからこの部屋はこれほど私的に感じられる。日常のなかで他人の匂いを嗅ぐのは、とても近くにいるときだけだ。抱擁、同じベンチ、同じ枕。ウルシッティは見知らぬ人をその距離へ招く。電子扉が背後で閉まり、数分のあいだ、その人はどんな描かれた肖像よりもアーティストの近くにいる。
タイトルの Sketch という語も大事だ。これは完成品ではなく、下書きだ。ウルシッティはのちに「Self-Portrait in Scent, Sketch no. 2」をつくった。同じ顔に戻る画家のように、少し違う素材で同じ問いをもう一度試した。
芸術の素材としての香り
1990年代初め、香りがギャラリーの主な素材になることはまだまれだった。たいていは別の何かに付随していた。絵の具の匂い、木の匂い、ほかの素材の匂い。ウルシッティはそれを逆にした。ほかの素材はない。香りだけ。
この作品は、嗅覚アートの歴史をたどるときによく挙げられる。早い時期に現れ、問いを率直に立てた。すべての像を取り去っても、人はまだそこにいるのか。
部屋の答えは、いる、ただし違うかたちで。香りは、アーティストの背が高いか低いか、若いか年老いているか、髪が何色かを告げない。もっと名づけにくいものを告げる。存在。ぬくもり。誰かがたったいま部屋を出ていったという感覚。
香りはとどまってもいない。薄れ、部屋の温度や、訪れる人それぞれの鼻によって移ろう。同じ肖像に出会う訪問者は二人といない。壁の絵は三十年後も同じ絵のままだ。ウルシッティの部屋は、そのたびにスイッチを入れなければならない。
だからこそ「Self-Portrait in Scent」はいまも語られるのかもしれない。珍しい素材の試み以上のものだ。人について、簡単なことを言っている。私たちは、他人に見えるもの以上のもので知られている。