エッセイ · 近代美術
ヒッポリート・ブランカール。プラチナプリント。
Hippolyte Blancard. The Platinum Print.
ひと月ずつ、立ち上がる塔。
カメラを持った薬剤師
ヒッポリート・ブランカール(Hippolyte Blancard)は1843年から1924年まで生きた。本業はパリの薬剤師。写真は勤務時間の外で、アマチュアとして続けたもの。ただし、測ることに慣れた人の規則正しさで続けた。
1880年代の終わり、パリは1889年の万国博覧会に向けて準備を進めていた。新しい発明、科学の発見、芸術を披露する国際的な催し。街は工事現場になった。セーヌ川沿いにパビリオンが建ち並んだ。そしてシャン・ド・マルスの中央で、鉄の骨組みが伸び始めた。技師ギュスターヴ・エッフェルの塔。博覧会の入口として建てられたもの。
ブランカールは、博覧会のために形をなしていく建築を撮った。最もよく知られた連作は、1887年7月から1889年4月までの塔を追う。まだ離れて立つ四本の鉄の脚。閉じていく第一層。細くなっていく塔身。そしてついに、空を背にした頂。
月を追って
この連作を記念写真と分けているのは、そのリズム。ブランカールは何か月にもわたり、何度も戻ってきた。プリントに個別の題はない。ニューヨーク近代美術館は、それらをひとつの形の名で収蔵している。無題、そして年と月。1888年4月。1888年6月。1888年8月。1888年10月。1889年4月。
一枚は小さく、およそ22×16センチ。引き伸ばしも演出もない。見る者は、偉大な記念碑に感嘆するよう促されるのではない。過程を見守るよう促される。鉄の上に鉄が重なる。一層ずつ、ひと月ずつ。
その方法は絵画より手帳に近い。同じ対象を、間をおくたびに見直す。変わったところを、注釈なしに正確に記す。今日これらの写真は、エッフェル塔が建てられていった段階を伝える、最も明快な記録のひとつとして残っている。
なぜプラチナか
ブランカールはよくプラチナで焼き付けた。この技法の特許は1873年。銀の代わりに、紙の繊維のなかにとどまるプラチナの金属が像をつくる。表面はつやのないマット。階調の幅は広く、深い黒からごく繊細な灰色まで。
プラチナの大きな利点は、保存性。銀のプリントは年月とともに変色し、褪せることがある。プラチナのプリントはほとんど変わらない。その代わり、当時のほかの技法より高価で、手間もかかった。プラチナを選ぶとは、ゆっくり、注意深く働き、ずっと後にその写真を見る誰かのことを考えること。
薬剤師にとって、それは自然な選択だったのかもしれない。彼の仕事は、正しく量り、正しく混ぜ、正しく記録すること。彼の写真にも同じ精神がある。明快な対象、安定した工程、長く残る結果。
一世紀以上を経て、ブランカールのプリントはフランスのアーカイブと、ニューヨークの美術館のコレクションに収められている。それは塔の記録であるだけではない。保つ者が十分に辛抱強く、正しい素材を選べば、一瞬は留めておけるという証でもある。