エッセイ · 写真
イニャキ・ボニージャス「Marginalia」。
Iñaki Bonillas. Marginalia.
写真の余白もまた、写真である。
本の余白から借りた名
Marginalia とは、本の余白に書き込まれた手書きのメモを指す言葉。この言葉を英語に持ち込んだのは、イギリスの詩人サミュエル・テイラー・コールリッジ。彼は読んだ本の余白を書き込みで埋めるのが習いだった。ボニージャスは、そうした書き込みのほうが、隣にある本文よりも可笑しく、雄弁だと語っている。
メキシコの作家イニャキ・ボニージャス(Iñaki Bonillas)は、2019年に始めた連作にこの名を借りた。ただし、ここでの余白は本のものではない。写真の余白である。
プリントされた写真には、いつも縁がある。像のまわりの白い紙の帯、フィルムの端、額装のために切り落とされた角。それは空白であり、写真の陰画であり、像に届くために目が素通りするもの。ボニージャスは逆を問う。余白をまっすぐ見たらどうなるか。
捨てられたものから写真を組み立てる
ボニージャスは写真の断片を選び、デジタル化し、新しい構成に組み上げる。背景だった余白が図になる。横長の帯が縦に立てられる。白と黒のなかから、色が現れる。
連作のひとつ Marginalia 4 は、手の身振りを見せる。古い写真彩色の手引書と、アナログの写真技法から構成された作品。カラーフィルムが普及する前、多くの写真は少しずつ手で彩色された。そうした手引書は、筆の持ち方、色の混ぜ方、頬をより赤く見せる方法を彩色師に教えた。
だからこの連作は、ひとつの謝辞でもある。古い写真はどれも、名前を知ることのない多くの人の仕事。暗室でプリントする人、彩色師、額装師。彼らの労働は署名もなく、写真の縁にある。ボニージャスはそれを中心へ運ぶ。
Marginalia を制作するなかで、ボニージャスはアトリエの床が印画紙の切れ端で覆われていることに気づいた。彼はそれを拾い集め、ガラスケースに収め、プロの写真家にスタジオの照明で撮らせた。余白の余白もまた、作品になった。
アーカイブの作家
写真は早くから、家族のアーカイブを通してボニージャスのもとに届いた。祖父ホセ・ロドリゲス・プラサ(José Rodríguez Plaza)は、メキシコに亡命して暮らしたスペイン人で、絶えず写真を撮っていた。2003年から、ボニージャスはそのアーカイブを自身の作品に取り込み始め、それは J. R. Plaza Archive と呼ばれる長いプロジェクトへと育った。
そのアーカイブを通して、ボニージャスは写真を像である以上に物質として見るようになった。写真には紙があり、化学があり、縁があり、裏があり、指紋がある。アルバムに収められ、貼られ、書き込まれる。Marginalia はその見方の次の一歩。アーカイブを読み込んだ後、彼はそこから切り落とされたものを読み始めた。
Marginalia は、ニューヨークでのボニージャス初の個展の題でもあった。会場はイースト65丁目にある kurimanzutto のスペース、会期は2019年10月5日から12月7日まで。展示は三つの作品群を並べ、いずれも写真の物理的な素材を主題にしていた。
この連作を忘れがたくしているのは、その慎ましさ。美しい眺めも、決定的瞬間もない。主となる写真ができた後に残るものだけ。そして、残ったものにはそれ自身の形、それ自身の色、それ自身の物語があるとわかる。