エッセイ · 近代美術

近代美術とは何か。

What Is Modern Art.

物ではない。物の見方。

近代美術:自由な筆致と色の面で描かれた近代の絵画


様式ではなく、時代

近代美術とは、おおよそ19世紀後半から20世紀半ばまでに作られた芸術の名前だ。都市が膨らみ、工場が建ち、鉄道が地方と地方を結び、新聞が、やがて映画が大衆に届いた時代。日々の暮らしが、かつてない速さで変わった。

芸術家たちは、こうした変化の外に立っていたわけではない。新しい主題、新しい素材、新しい描き方を試した。ひとつの近代様式があったのではない。印象派、フォーヴィスム、キュビスム、未来派、ダダ、シュルレアリスム、抽象があった。どの運動も、同じ問いへの別の答えだった。変わりつつある世界で、芸術は何をすべきか。

「近代(モダン)」という言葉は、最新という意味に取られやすい。実際には、過ぎ去ったひとつの時代を指す。今日の芸術には別の名前がある。現代アート。ふつう1960年代から1970年代ごろ以降とされる。近代は親。現代は子で、いまも育っている。

カメラ、絵具チューブ、戸外の光

1839年、写真が生まれた。機械が、どんな手よりも正確に顔や風景や建物を記録できるようになった。絵画は、何世紀も担ってきた仕事を失った。世界を似せて写すという仕事を。

同じころ、小さな発明が画家の習慣を変えた。1841年から、絵具はねじ蓋つきの金属チューブに入るようになった。画家は色をアトリエの外へ、川辺へ、野へ持ち出し、景色の前で直接描けるようになった。

フランスの印象派は、これを存分に生かした。すばやく描き、筆触を残し、色をあらかじめ混ぜずに並べて置いた。とらえたかったのは物の正確な形ではなく、ある瞬間にその上にある光だった。1872年に描かれたクロード・モネの「Impression, soleil levant」(印象・日の出)が、運動全体に名前を与えた。

ここから、絵画の問いが向きを変えた。物はどう見えるか、ではなく、私はそれをどう見るか。

形を壊す、境界を壊す

20世紀初め、多くの芸術家がさらに先へ進んだ。1907年、パブロ・ピカソは「Les Demoiselles d'Avignon」(アヴィニョンの娘たち)を描き、人体を角ばった面に切り分けた。ジョルジュ・ブラックとともに、彼はキュビスムを開いた。ひとつの物をいくつもの側から同時に、ひとつの平面の上で見ること。

1917年、マルセル・デュシャンは既製品の小便器に R. Mutt という偽名で署名し、ニューヨークの展覧会に出品して「Fountain」(泉)と名づけた。問いはもはや、どう美しく描くかではなかった。そもそも何を芸術と呼べるのか、だった。

芸術と建築とデザインと装飾工芸の境界を消した芸術家たちもいた。1919年、ドイツにバウハウスが開校し、画家、織り手、大工、建築家がともに学んだ。ハノイでは1925年にインドシナ美術学校(École des Beaux Arts de l'Indochine)が開かれた。そこから、グエン・ザー・チー(Nguyễn Gia Trí)のような画家たちが、漆を装飾から絵画の素材へと変えた。

戦争、不正、政治の激動に正面から向き合う者もいた。二つの世界大戦は、ダダに、シュルレアリスムに、1945年以後のニューヨークの大きな抽象画に痕跡を残した。

場所ごとに違った近代

近代は、どこでも同じ意味ではなかった。パリでは、煙の立ちこめるカフェとサロンに拒まれた絵だったかもしれない。メキシコでは、公共建築の壁に革命の物語を描く壁画。ハノイでは、絹と漆、そしてそれまで誰も描かなかったやり方で描かれた若い女性たち。

共通していたのは、近代の芸術家たちが、芸術を作る慣れたやり方に挑んだことだ。作品の見え方を変え、作品が誰のためにあるかを変えた。芸術は宮殿や教会や貴族の客間を離れ、画廊へ、新聞の紙面へ、街へ出た。

振り返れば、近代美術は見る人に新しい習慣を教えた。絵が何にも似ていなくても、なお真実を語りうると受け入れること。