エッセイ · 現代アート

現代アートとは何か。

What Is Contemporary Art.

作品は、誰かがその前に立ったときにはじめて完成する。

現代アート:インスタレーション空間の中に立つ来場者


今日のアートの名前

コンテンポラリーとは「同時代の」という意味。現代アートとは、簡単にいえば、現在と近い過去のアートである。美術館ではふつう、1960年代から1970年代ごろから今までを数える。その前には、私たちが近代美術と呼ぶ時代がある。19世紀後半から20世紀半ばまで続いた時代だ。

二つの言葉は響きが近く、混同されやすい。近代は、すでに閉じた時代で、名前のついた運動がある。印象派、キュビスム、シュルレアリスム、抽象。現代はまだ閉じていない。今も続いていて、だからひとつの様式の名で呼ぶことができない。

唯一の定義はない。今年描かれた油彩画は現代アートだ。暗い部屋に映し出される映像もそうだ。何週間も椅子に黙って座り続ける人もそうだ。それらをつなぐのは素材や技法ではなく、私たちが生きる世界への問いかけ方である。

だから多くの人がギャラリーに入って戸惑う。これはアートなのか。どう理解すればいいのか。その問いは間違っていない。それはしばしば、作品が望む出発点そのものだ。

素材は何でもいい

現代の作家は、伝統ではなく考えに合わせて素材を選ぶ。絵画、彫刻、インスタレーション、映像、パフォーマンス、音、光、コード。ときには時間。ときには作家自身の身体。

多くの作品では、考えとプロセスが、最終的な物と同じか、それ以上に重要になる。河原温(On Kawara)は、10年以上にわたって毎日、自分が起きた時刻を絵葉書にスタンプした。一枚のカードには、見るべきものはほとんどない。作品は反復そのものだ。

2003年、オラファー・エリアソン(Olafur Eliasson)は、ロンドンのテート・モダンのタービン・ホールに人工の太陽と薄い霧を設置した。作品名は「The weather project」。来場者は床に寝転び、鏡張りの天井に映る自分の姿を見上げた。買うものも、持ち帰るものもなかった。あるのは黄色い光、湿った空気、並んで横たわる見知らぬ人々だけ。

現代の作家は歴史を拒まない。歴史と対話する。受け継ぎ、反論し、組み立て直す。形、アイデンティティ、素材をめぐる古い問いが、新しい道具で問い直される。

観る人も作品の一部

かつてのアートは、たいてい明確な距離を保っていた。作品は壁に、観る人は線の後ろに。現代アートは、しばしばその距離を消す。

2010年、ニューヨークのMoMAで、マリーナ・アブラモヴィッチ(Marina Abramović)は何週間も椅子に座り続けた。向かいには空いた椅子がひとつ。誰でもそこに座り、好きなだけ彼女を見つめることができた。作品名は「The Artist Is Present」。空いた椅子に誰かが座らなければ、それは半分の作品にすぎなかった。

こうした作品では、観る人は外側に立たない。どう入り、どう立ち止まり、黙り、あるいは泣くか。それが意味の一部になる。意味は物の中に蓄えられてはいない。人と物が出会うときに生まれる。

多くの作品は、限られた間だけ存在する。パフォーマンスは一度きり。インスタレーションは展示が終われば解体される。別の場所で展示されれば、作品はそのたびに少しずつ変わる。

作品の前に立つには

現代アートを見る前に勉強する必要はない。必要なのは好奇心、忍耐、そして正解がないかもしれないと受け入れる気持ちだ。

簡単な方法がひとつある。まず見て、あとで読む。作品が何でできているか、どこに置かれているか、自分の身体と比べてどれほど大きいか、小さいか。それから題名、年、壁の解説を読む。最初の感覚は、たとえ違和感や戸惑いであっても、すでに小さな答えであることが多い。

現代アートは、私たちの生きる時代を映す。広く、もつれ、多くの声をもつ時代を。観る人の代わりに結論を出すことはない。会話を開く。部屋を出たあとも続く会話を。