エッセイ · デザインとしてのファッション

デザインとしてのファッション。

Fashion as Design.

私たちが毎日着るものも、デザインされた物だ。

「デザインとしてのファッション」。ジーンズや白いTシャツなど、デザインされた物として示される日常の服


誰もが何かを着ている

あらゆるデザインのなかで、服は私たちに最も近い。誰もが、どこでも、何かを着ている。ときには一揃いの服。ときには、タトゥーのように肌の上の印だけ。有名な椅子に一度も座らずに一生を過ごすことはできても、布に触れずに一日を過ごす人はいない。

ファッションをデザインとして見るとは、流行や季節やランウェイをいったん脇に置くこと。そのかわりに、物をつくる人の問いがやってくる。これは何でできているか。誰が、機械で、あるいは手でつくったか。身体のどんな問題を解決するのか。着る人について、そしてそれを生んだ社会について、何を語るのか。

ほかのデザイン分野と同じく、服はつねに相反する力のあいだにある。機能と形。機械と人の手。標準サイズと仕立て。大衆性と個人のアイデンティティ。実用と理想。一着一着が、それぞれのやり方でその釣り合いをとっている。

「Are Clothes Modern?」から「Items」へ

この問いは新しくない。1944年、ニューヨーク近代美術館は、建築家バーナード・ルドフスキーの企画による「Are Clothes Modern?」を開いた。ルドフスキーは、訪れる人に自分の着ているものを考え直してほしかった。なぜ私たちはこのように装うのか。どの慣習が必要で、どれがただの習慣なのか。

美術館が次の大きなファッション展を開くまでに、七十年以上が過ぎた。「Items: Is Fashion Modern?」は2017年10月1日から2018年1月28日まで開かれ、キュレーターのパオラ・アントネッリが建築・デザイン部門のミシェル・ミラー・フィッシャーとともに企画した。20世紀と21世紀に強い影響を与えた111点の服とアクセサリーが集められた。

リストには、リーバイスの501ジーンズのようなごく身近なものも、サリーのように文化全体を担うものも含まれていた。どれもデザインされた物として扱われた。歴史があり、技術があり、社会のなかでの生がある。

「デザインとしてのファッション」は、その対話を講座のかたちで広げる。焦点は個から集団へ、服とは何かから、服は何になりうるかへ移る。

ケンテ布から3Dプリントのドレスまで

講座は、世界各地から選ばれた服をたどる。西アフリカで織られるケンテ布。ブルージーンズ。3Dプリンターでつくられた実験的なドレス。どの一着も、同じ三つの問いを立てるための事例になる。どうつくられるか、どう着られるか、どう理解されるか。

答えは多くの声から届く。デザイナー、仕立て職人、歴史家、新しい素材を試す人々。学ぶ人はアトリエに招かれ、インタビューを聞き、一着ごとに映像の記録と歴史的な文脈に触れる。

残るのは、見方の小さな変化だ。引き出しのなかの白いTシャツは、もう無名ではない。計算された裁断、選ばれた繊維、軍の下着から誰もが着る日常着へと続く歴史がある。それはデザインだ。ただ身近すぎて、私たちが忘れているだけ。

服の届く範囲は、表面でも止まらない。労働、環境、経済、政治に触れる。誰が、どこで、いくらで布を織ったのか。捨てられたシャツはどこへ行き着くのか。ファッションをデザインとして見るとは、美しさだけでなく、その連なり全体を見ることだ。


デザインとしてのファッション