エッセイ · デザインとしてのファッション

スポーツジャージ。

The Sports Jersey.

どのジャージも、着る人を運んでいる。

スポーツジャージ:スタジアムから街へ渡った、番号入りのチームシャツ


試合着から観客席へ

ジャージは道具として始まった。審判にも、チームメイトにも、観客にも、誰がどちらの側に立つかを告げた。ひとつの色、ひとつの番号、チーム名。それだけ。

長いあいだ、観客席の人々はそれを着なかった。「Sports Illustrated」のティム・レイデン(Tim Layden)によれば、1960年代の試合のファンは、会社へ行くようにスーツとネクタイ姿のことが多かった。スタジアムは身なりを整えて行く場所だった。

1970年代、服装は全体にくだけたものになった。ジャージが観客席に現れはじめたが、まだまれだった。当時のジャージは主に、高校や大学、いくつかのプロチームに納める地元の小さな製造元が作っていた。作っていたのはプレーするためのシャツ。観客に売ることは誰も考えなかった。

ジャージはまだフィールドのものだった。洗われ、繕われ、使い回され、破れたら取り替えられた。

1985年、ジャージは商品になる

転機はダラスから来た。1985年、ダラス・カウボーイズのジャージを作っていたスポーツ用品店の店主ノーム・チャーニー(Norm Charney)は、ファンが選手のものとまったく同じシャツを欲しがっていることに気づいた。同じ色、同じ番号。彼はそれを作り、売った。

それはすぐに所有の問題となり、NFL が乗り出した。リーグはライセンスを出し、大手のアパレル企業と組んで、ジャージの製造と販売を管理しはじめた。チャーニーは NFL 公式ジャージを売るライセンスを得て、のちに野球、アイスホッケー、バスケットボールも加えた。

チャンピオン、リーボック、やがてナイキが続いた。かつて一人の選手が着ていたシャツが、いまや何千枚もの複製として存在した。その一枚一枚が、ファンがチームに少し近づくための方法だった。

ここで、何かが静かに移った。背中の番号はかつて、フィールドを走っているのが誰かを示していた。いまは、観客席に座っているのが誰で、誰を愛しているかを示していた。

ヒップホップがジャージを着る

1980年代後半から1990年代初め、ジャージはスタジアムを完全に離れた。ヒップホップのアーティストたちが、舞台で、ビデオで、街でそれを着た。チームを応援しているからとは限らない。シャツがゆったりとして、色が強く、番号が大きく、着る人について何かを語ったからだ。

2パック(Tupac Shakur)がデトロイト・レッドウイングスのジャージ姿で撮られた写真はよく知られている。「Juicy」のビデオで、ノトーリアス・B.I.G.(The Notorious B.I.G.)は自身のレーベル名「Bad Boy」を記した特注のジャージを着た。どのチームのシャツでもない。着る本人のためのジャージだった。

それ以来、ジャージはチームへの忠誠を示すだけのものではなくなった。個人のアイデンティティを書き込む面になった。人は色で、聴いている音楽に結びつく街で、背負いたい名前で、チームを選んだ。

年月を経た2017年、スポーツジャージはニューヨークの MoMA で開かれた「Items: Is Fashion Modern?」で、20世紀の人々の装いを形づくった他の服とともに展示された品のひとつだった。

一枚のシャツ、いくつもの生

いま、ジャージはスポーツとファッションと大衆文化が出会う場所にある。観客席で、舞台で、カフェで、朝のバスで着られている。

よく見ると、ジャージはいくつもの時間を同時に抱えている。背中に名前のある選手の時間。最初に買った人の時間。それを受け継ぎ、その選手が引退したずっとあとまで着る人の時間。古いシャツは、そこに刷られた名前の選手生命より長く生きることがある。

だからジャージは、商品としてだけでなく、物として見られるに値する。大量に作られる。けれど、着られるのは一度に一人ずつだ。


デザインとしてのファッション