エッセイ · 現代アート
アーサー・ジャファ。APEX。
Arthur Jafa. APEX.
並べられた像は、自ら意味をつくる。
切り抜きのノート
三十年以上にわたり、アーサー・ジャファ(Arthur Jafa)は写真を切り抜いてきた。雑誌、新聞、広告から。それを、彼にしかわからない順番でノートに貼った。この習慣は撮影監督として働いていたころに始まり、多くのページが彼の撮影の参照になった。
ジャファは作家として知られる前、撮影監督だった。1991年にはジュリー・ダッシュ監督の「Daughters of the Dust」を撮影し、サンダンス映画祭で撮影賞を受けた。彼の目は映画のフレームのなかで鍛えられた。光、リズム、カット。
やがて切り抜きの習慣はコンピューターへ移った。はさみと糊の代わりに、デジタルの像をひとつのフォルダに集めた。そのフォルダの名が APEX だった。
八分、数百の像
APEX は2013年の作品。いくつかの形で存在する。パネルに印刷された像のグリッドのときもあれば、映像のときもある。映像は約八分で、現在はニューヨーク近代美術館のコレクションに収められている。
映像のなかで、写真が閃き過ぎる。一枚が画面にとどまるのはほんの一瞬。音はデトロイトの電子音楽プロデューサー、ロバート・フッド(Robert Hood)のテクノ。規則的だがずれた拍動がそこを横切る。見る者にじっくり見る時間はない。見分ける時間だけがある。
見分けるものは、ごちゃまぜ。ミッキーマウス。アメリカの奴隷制廃止運動の二つの顔、フレデリック・ダグラスとソジャーナ・トゥルース。電子顕微鏡の下の昆虫。黒人のアスリート、音楽家、芸術家。日食。SF映画やホラー映画のスチル。頭蓋骨。傷ついた身体。
ナレーションはない。字幕もない。この一枚、そして次の一枚だけ。
不気味なもつれ
像がその速さで続くと、互いにくっつき始める。英雄のすぐ後ろに悪役が立つ。歴史写真の隣に漫画が並ぶ。過去と現在が別々でなくなる。ジャファはこれをspooky entanglements(不気味なもつれ)と呼んだ。
この言葉は量子物理学から借りたもの。そこでは、遠く離れた二つの粒子がなお互いに影響し合う。APEX では、無関係な二枚の写真が突然関係を持つ。見る者は、望むと望まざるとにかかわらず、それらを結びつけてしまう。
こうして作品は、アメリカのポピュラー文化における黒人の像を問う。同じ顔が、雑誌の表紙ではアイドルに、新聞では犠牲者に、映画では怪物になりうる。APEX はそれらを引き離さない。互いのなかを通り抜けさせ、それらがずっと同じアーカイブにしまわれていたのだと見る者が気づくまで続ける。
数年後、ジャファは同じ編集の方法を2016年の「Love Is the Message, The Message Is Death」に用いた。ファウンド・フッテージから組み立てた映像で、はるかに広い観客に届いた。だが方法が最もあらわなのは APEX。ほとんど静止画と、速さと、ビートだけ。
なぜ APEX は残るのか
APEX は新しい像をつくらない。すでにある像を並べ替える。残るのはそのこと。人は順番を選ぶだけで、とても大きなことを語りうる。
APEX の一枚一枚は、単独ではどれも見覚えがある。見る者はどこかで見ている。印刷物で、画面で、壁で。だが、誰もそれらをこのように並べたことはなかった。それらが重なる場所こそ、作品が語る場所。
八分はすぐに過ぎる。見る者が持ち帰るのは特定の一枚ではなく、ある感覚。どの像も網の目のなかにあり、無垢な像はひとつもないということ。