エッセイ · 嗅覚アート
ピーター・デ・クーペレ(Peter De Cupere)。「Olfactory Tree」。
Peter De Cupere. Olfactory Tree.
目は偽物を見る。鼻は森を嗅ぐ。
生きていない幹
ピーター・デ・クーペレ(Peter De Cupere)の「Olfactory Tree」は、木の幹のように見える。もう一度見ると、そうではない。エポキシ樹脂などの人工素材でできている。本物の木も、本物の樹皮もなく、育つものは何もない。
作品をつくっているのは、目の届かないところにあるものだ。偽の幹には森の匂いが込められている。松、杉、きのこ、草、そして作家がただ「森」と呼ぶ匂い。遠くからは彫刻が見える。近づくと、ある場所の匂いがする。
2010年、この作品はベルギー・アントワープの非営利アートスペース、ポケットルーム(Pocketroom)での個展で、9月半ばから10月末まで展示された。小さな部屋、偽の幹、そこにはない森の匂い。
古い記述の中には、香りのディフューザーを取り付けた生きた木だとするものもある。作家に近い資料は違うと言う。木は生きていない。そして生きていないからこそ、作品の問いは鋭くなる。
鼻で制作する作家
ピーター・デ・クーペレは、匂いを実践の中心に置くベルギーの作家である。匂いのインスタレーション、香りをもつ彫刻、嗅覚のパフォーマンス、匂いの映画、香りをもつ絵画をつくる。ピアノのように見えて、鍵盤を押すたびに香りを放つ楽器「Olfactiano」もつくった。
彼の方法は、しばしばひとつの規則に従う。目になじみのあるものを取り、私たちがそれを認識するしかたを変える。音の代わりに匂いを出す鍵盤。育たないのに森を放つ幹。物は動かない。それを読むための感覚が入れ替えられる。
彼はよく、奇妙なもの、捨てられたもの、ありふれた素材を使う。彼の手の中で、匂いは完成した作品に加えられる層ではない。匂いが作品であり、形はそれが住む場所にすぎない。
「Olfactory Tree」では、誰もが知る像を選んだ。木とは何かを説明する必要はない。だから観る人は、残りのことにすべての注意を向けられる。匂いはどこから来るのか、そしてなぜ目の前の形よりも説得力があるのか。
森がないとき、森はどこにあるのか
作品はひとつの単純な問いを投げかける。偽の物が本物の匂いを運ぶなら、それは本物か、偽物か。目はすばやく答える。鼻の答えは遅いが、しばしば深い。きのこと草の匂いは、その森の写真よりもたやすく、森の散歩を呼び戻す。
この問いは日常の中にもある。都市は、ショッピングセンターの造花や、キャンドルやルームスプレーの木の香りで満ちている。私たちは毎日、そこにない森の中で暮らしている。「Olfactory Tree」は、それをただ、ひとつの部屋に淡々と並べてみせる。
小さな細部にも目を留めておきたい。この作品は、偽の木をより本物らしく見せようとはしない。素材をそのまま見せる。観る人は、型取りされた物の前にいるとすぐにわかる。形についてのその正直さが、匂いをいっそう際立たせる。覆い隠すものが何もないからだ。
けれど作品は裁かない。本物の木が偽物より良いとも、自然の匂いがつくられた匂いより価値があるとも言わない。ただ二つの知り方を切り離し、形と匂いが同じ物について違うことを語りうると、観る人に見えるようにする。
心に残るのは、「Olfactory Tree」が匂いを確かめるための手段に変えることだ。私たちは目を信じることに慣れている。ここで目は正しく見ていて、それでも足りない。観る人を森へ連れていくのは鼻である。たとえその森が、空気の中の痕跡にすぎないとしても。