エッセイ · デザインとしてのファッション
ジャンプスーツ。
The Jumpsuit.
服は、着る人がする仕事の痕跡。
下着からつなぎへ
ジャンプスーツは、上衣とズボンを縫い合わせた一続きの服。名前は落下傘兵に由来する。機体から飛び出すとき、ずれず、引っかからない服が必要だった。けれど、その物語はもっと早く、服の内側から始まっている。
19世紀半ば、ユニオンスーツが現れた。男女を問わず着られた、編み地の一続きの下着。煩わしく着にくい、何枚も重ねる下着に取って代わった。女性にとって、ユニオンスーツは解放だった。ドレスの下の窮屈な重ねを、いくらか取り除いたのだから。
一続きの形が外へ出たとき、実用性も一緒に運ばれた。1913年、Lee は整備士のためのゆったりとした、重く丈夫なスーツ、ユニオンオール(Union All)を発表した。一度着ればそれで済む。油が入り込む隙間もない。第一次世界大戦中、この形はアメリカ軍の飛行服に転用された。
この段階で、スーツは道具だ。目のためではなく、仕事のためにある。
すべての人のためのスーツ
第一次世界大戦のあと、ジャンプスーツは象徴的な意味を帯びた。イタリアの未来派、ロシアの構成主義の芸術家たちは、そこに新しい時代の制服を見た。簡素で、平等で、作りやすいもの。
1919年、イタリアの芸術家タヤット(Thayaht)は「TuTa」を考案した。まっすぐな布から裁つT字形の一続きの服で、誰でも家で縫うことができた。布地と型で人を振り分けるブルジョワのファッションへの拒絶として。
ソビエト・ロシアでは、ワルワーラ・ステパーノワとアレクサンドル・ロトチェンコが一続きの作業着をデザインした。彼らにとって服は、ランウェイのためではなく、労働者階級のために大量生産されるべきものだった。
けれど、ジャンプスーツには暗い面もあった。第二次世界大戦中のイギリスには、サイレンスーツがあった。空襲警報が鳴るとすぐに着込む服。防空壕へ走るためのスーツ。
ダンスフロアへ
1960年代、ジャンプスーツは主流のファッションに入った。1970年代には転換点となった。女性がズボンで正式な場に出ても、場違いに見えなくなった。
そしてディスコが来た。光、音楽、長い夜。ジャンプスーツは、自由と、自分の体でくつろぐための服になった。デザイナーたちは光をとらえる生地、スパンコール、大胆な裁断を使った。
よく引かれる例が、アメリカのデザイナー、スティーブン・バロウズ(Stephen Burrows)によるゴールドのラメのジャンプスーツ。ホルターネック、開いた背中、広がる脚。動くために作られた。一歩ごとに、布が違うかたちで光をとらえた。
かつて整備士のためにあった同じ形が、いまはミラーボールの下で輝いていた。
一枚の布、いくつもの生
振り返れば、ジャンプスーツは服が担いうるほとんどすべての役を通り抜けてきた。下着。作業着。軍服。政治的な表明。避難のための服。夜会服。
形はほとんど変わらなかった。首から足首まで、いまも一続き。変わったのは着る人と、それを着て何をしていたかだ。スポーツジャージと同じく、ジャンプスーツはありふれた服がどれほどの意味を運べるかを示している。
だから、それはいまもここにある。何かの基準で美しいからではない。人が持ち込むどんな物語も受け止められるほど、簡素だからだ。