エッセイ · 嗅覚アート

ブライアン・ゲルツェンロイヒター「Smelling the City」。

Brian Goeltzenleuchter. Smelling the City.

家は、それが必要とするものの匂いがする。

ブライアン・ゲルツェンロイヒターとキャサリン・ウィットコム「Smelling the City」。二篇の詩が印刷されたムエット


美術館からの問い

2011年、サンディエゴ美術館は、グスタフ・スティックリーとアメリカのアーツ・アンド・クラフツ運動をめぐる巡回展にあわせて、夏のサロン・シリーズを開いた。美術館は招いたアーティストたちに問いを投げかけた。都市には何が必要か。

アーティストのブライアン・ゲルツェンロイヒターと詩人のキャサリン・ウィットコムが、その問いを引き受けた。二人は計画や講義で答えなかった。二篇の詩と二つの匂いで答えた。

スティックリーは20世紀初頭の家具デザイナー。その家具は、まっすぐな線、飾りのない面、木目を見せたオークで知られる。彼にとってよい家とは簡素な家だった。土地の素材でつくられ、見せるためのものが何も加えられていない家。それは椅子の様式ではなく、暮らしの理想だった。

ゲルツェンロイヒターとウィットコムは、その理想を自分たちの時代のものの隣に置いた。使い終えた輸送コンテナでつくる、小さなプレハブ住宅。住まいについての二つの考え方。ほぼ一世紀を隔てて。

二篇の詩、二つの匂い、一枚の紙

一篇目は「Native Oak」。ウィットコムはスティックリーの室内を書く。開かれた清潔なデザインと、土地の素材。二篇目は「Cargotecture」。cargo(貨物)と architecture(建築)を合わせた言葉だ。雑誌『Sunset』の2011年の「Idea House」を指している。コンテナひとつでつくられた、約192平方フィートの家。

それぞれの詩のために、ゲルツェンロイヒターは香りをつくった。どちらも、香水の売り手が客に手渡す吸水性の細長い紙、ムエットに吹きつけられた。どのムエットにも二篇の詩が、二色刷りのリトグラフで印刷されている。

読み手は紙を二通りに持てる。それぞれの香りをその詩とともに嗅ぐ。二つの別々の家として。あるいはムエットを折りたたみ、二つの匂いを出会わせる。すると木と鋼鉄が同じ息のなかに届き、住まいに本当に必要なものは何かという問いは、やわらかく、不確かになる。

完成した作品は2部のエディションとして存在する。それぞれに、ムエットに刷られた50枚のリトグラフ、アーティストブック、アーティストがつくった香り2瓶が収められている。アーティスト自身のサイトは、このエディションを2013年としている。2014年には、ロサンゼルスの Art Share でのグループ展「Past Tense Future Imperfect」で展示された。

鼻で都市を読む

ゲルツェンロイヒターは、最も一貫して匂いを扱うアメリカのアーティストのひとりだ。ロサンゼルスの Institute for Art and Olfaction でアーティスト・イン・レジデンスを務めた。別のプロジェクトでは、都市の住民に近所の匂いを尋ね、その答えを瓶詰めの香りにしている。「Smelling the City」が違うのは、小さく私的であること。都市全体の地図ではなく、一枚の紙の上の二軒の家。

匂いは詩の挿絵ではない。二行目のように、詩の隣に立つ。言葉は木について語り、香りは木を近くに運ぶ。言葉はコンテナについて語り、香りは鋼鉄と貨物が本当はどれほど近いかを告げる。読み手はひとつの詩を受け取るのに、二つの感覚を必要とする。

心に残るのは、作品が大きな問いを小さな物のなかに置くやり方だ。都市には何が必要か。大きな家か小さな家か、新しい木か再利用された鋼鉄か、伝統か仮のものか。ムエットは誰のためにも選ばない。二つの匂いを並べて横たえ、そして消えるにまかせる。

その消えていくことも、ひとつの答えだ。家に必要だと私たちが思うものは、紙の上の香りのように、時とともに移ろう。今日ははっきり。来週はかすか。来年には、言葉だけが残る。

ブライアン・ゲルツェンロイヒター「Smelling the City」(2013)
ブライアン・ゲルツェンロイヒター「Smelling the City」(2013)