エッセイ · 写真

芸術としての写真。

Photography as Art.

すべての写真は選択である。

芸術としての写真:展示用の額に収められた芸術写真


記録する機械

写真は道具として生まれた。1826年か1827年ごろ、ニセフォール・ニエプス(Nicéphore Niépce)は、感光性の物質を塗った金属板をカメラの中に何時間も置いた。フランス中部ル・グラの自宅の窓に向けて。できたのは、屋根と中庭のかすかな像。現存する最古のカメラ写真として知られている。

1839年、ルイ・ダゲール(Louis Daguerre)のダゲレオタイプの技法がパリで発表された。そこから写真は急速に広まった。人々は肖像を、風景を、科学のための標本を撮った。

初期の数十年、写真は補助とみなされていた。画家がポーズを覚えておくのを助け、科学者が一枚の葉を残すのを助けた。写真は記録した。写真がそれ自身の何かを語りうるとは、まだ誰も考えていなかった。

問いは早くからあった。記録を機械がするのなら、その後ろにいる人は何をするのか。

絵画の模倣から、まっすぐ見ることへ

19世紀の終わり近く、ある写真家たちが、写真が芸術であることを証明しようとした。彼らは写真を絵画のように見せた。柔らかな焦点。霞んだ光。プリントへの手仕事。この運動はピクトリアリズムと呼ばれた。

20世紀初頭、方向は逆転した。ニューヨークのアルフレッド・スティーグリッツ(Alfred Stieglitz)は、雑誌Camera Workと自らのギャラリーを通して、別のあり方を擁護するようになる。写真を写真のままにすること。鮮明で、絵具の質感を装わず、レンズが見るものを受け入れる。それはストレート・フォトグラフィと呼ばれるようになった。

ポール・ストランド(Paul Strand)は、その見方の中心人物だった。マンハッタンの通り、影、行き交う人々を撮った。1921年にはチャールズ・シーラー(Charles Sheeler)と短編映画「Manhatta」をつくり、都市を量塊と線と煙の集まりとして見た。

それ以来、写真はモダニズムと強く結びついた。もう絵画に似る必要はなかった。写真には写真の言語があった。フレーム、鮮明さ、奥行き、シャッターの瞬間。

現代アートのなかの写真

今日、写真の境界は広い。映像、インスタレーション、パフォーマンス、デジタルアートと交わる。作品は一枚のこともある。ひとつの物語や考えをめぐって並べられた、何百枚もの連なりのこともある。

写真は、社会の暮らしを記録するために、政治や環境について語るために、家族の記憶を取り戻すために、アイデンティティを問うために使われる。主題は尽きない。芸術写真を芸術写真にしているのは、主題ではない。

それは見る方法である。同じ時刻に同じ場所に立つふたりが、違う二枚を持ち帰ることがある。ひとりは建物を見る。もうひとりは壁の上の一筋の日差しを見る。同じカメラ。違う目。

残すものを選ぶ

報道写真や商業写真とは違い、芸術写真はニュースにも製品にも仕えない。仕えるのは見る方法である。写真家は現実をただ記録するのではない。構図、光、色、タイミング、撮影後の作業を通して、現実を組み立て直す。

だから、すべてのフレームは決断である。内側に入ったものは残る。外側に落ちたものは、永遠に捨てられる。中立な写真はない。

誰もがポケットにカメラを持ち歩く、これほど画像に満ちた世界では、このことはいっそう明らかになる。撮るのは易しい。選ぶのは難しい。芸術写真は思い出させる。一枚の写真が残す価値をもつのは、多くを記録するからではなく、どこで止まるかを知っているからだと。