コンテンポラリーとは、同じ時代という意味。美術館の多くは、1960年代から70年代ごろ以降を指す。共通の様式はない。暗い部屋に映る映像。土で満たされた部屋。何週間も黙って座り続ける人。
ここに並ぶ作品の多くは、留めておきにくいものを扱う。壁の埃、部屋の音、記憶の中の土地。Penta は香りに向ける問いで、それらを読む。これはどこから来たのか。何を運んでいるのか。
はじめに読む: 現代アートとは何か。
イ・ミレ(Mire Lee)。「Open Wound」。
イ・ミレ(Mire Lee)はタービン・ホールを生きた工場に変えた。ゆっくり回るタービン、したたる液体、濡らされ、乾かされ、天井へ吊り上げられる布の皮。
エル・アナツイ。「Behind the Red Moon」。
遠くからは帆、赤い月、黒い壁。近くでは、何千もの酒瓶のキャップ。ひとつひとつにラベルと交易の道がある。
セシリア・ビクーニャ(Cecilia Vicuña)「Brain Forest Quipu」
アンデスの人々は文字を書かず、紐を結んだ。セシリア・ビクーニャは、消えゆく森を覚えておくために、記憶の紐二本をタービン・ホールに高さ27メートルで吊るした。
レフィーク・アナドール「Unsupervised: Machine Hallucinations」、MoMA
レフィーク・アナドルは、MoMA のデジタルアーカイブのほぼすべてを機械に見せ、美術館の大きなスクリーンで一年近く夢を見させた。
カラ・ウォーカー(Kara Walker)。「Fons Americanus」。
カラ・ウォーカーはヴィクトリア記念碑をもとに四段の噴水を建て、その水に大西洋奴隷貿易を語り直させた。
トゥアン・アンドリュー・グエン(Tuan Andrew Nguyen)。「The Specter of Ancestors Becoming」。
ディエンビエンフーのあと、何百人ものベトナムの女性がセネガル兵の夫についてアフリカへ渡った。その子孫がいま、交わされなかった会話を書く。
ローレンス・アブ・ハムダン「Walled Unwalled」。
ベルリンの古いスタジオで二十分のモノローグ。壁を越えて証拠になった物について。
teamLab Borderless: MORI Building DIGITAL ART MUSEUM(森ビル デジタルアート ミュージアム)
チームラボボーダレスでは、作品は部屋にとどまらない。さまよい、触れ、見る人とともに変わる。来場者は自分で道を見つけなければならない。
J・P・スニアデッキ、ジョシュア・ボネッタ。El Mar La Mar。
3年、16mmフィルム、国境が走る砂漠。スニアデッキとボネッタは国境を撮らなかった。砂漠が留めているものを撮った。
SUPERFLEX. One Two Three Swing!
オレンジの線、三人乗りのブランコ。ひとりで漕ぐ。三人がリズムを合わせると飛ぶ。
アーサー・ジャファ「Love Is the Message, the Message Is Death」
およそ七分、何百もの断片、一曲の歌。喜びと暴力が、間をおかずに続く。
Jorge Otero-Pailos. The Ethics of Dust.
イギリス議会のもっとも古い壁にラテックスを吹きつけ、何世紀分もの埃とともに剥がす。その膜は、それが来た壁の横に吊るされた。
ロバート・アーウィン「untitled (dawn to dusk)」。
C字形のコンクリートの建物、並ぶ窓、黒と白の二枚の紗幕。壁には何もない。作品は、一日を通り抜ける光。
Abraham Cruzvillegas. Empty Lot.
ロンドン中の公園から集めた土、ランプ、毎日の水、そして一粒も蒔かれない種。「Empty Lot」は、何が育つかを土に決めさせる。
ヒト・シュタイエル(Hito Steyerl)「Factory of the Sun」
青いグリッドのスタジオで、労働者たちが踊らされる。その動きのすべてが、人工の陽光に変えられる。
ジョン・アコムフラ(John Akomfrah)。「Vertigo Sea」。
鯨、波、移民の船、奴隷船。ジョン・アコムフラは三つのスクリーンにそれらを並べ、海に物語を語らせる。
ジュリアン・ローゼフェルト(Julian Rosefeldt)「Manifesto」
十三のスクリーン、ひとりの演者、日常の真ん中で語られる古い芸術のマニフェスト。言葉は残り、部屋が変わる。
グエン・チン・ティ(Nguyễn Trinh Thi)。「Letters from Panduranga」。
ニントゥアンのひとりの女性、ベトナム中部を旅するひとりの男性。ふたりは手紙を交わし、チャム族を撮る資格が自分たちにあるのかと考える。
レイチェル・ローズ(Rachel Rose)「Everything and More」
レイチェル・ローズは、宇宙飛行士の言葉を水や漂う液体と重ね、重力が消えたとき身体に何が残るのかを問う。
Susan Philipsz. War Damaged Musical Instruments.
戦争で傷んだ十四の管楽器が、もう一度別れの合図を吹こうとする。いちばん聞こえるのは息。
タリン・サイモン「Paperwork and the Will of Capital」
国際的な調印式の写真から組み直した36の花束、アールスメールの花市場から集めた4,000点を超える標本、12台のコンクリートのプレス。
アピチャッポン・ウィーラセタクン「Fireworks (Archives)」
イサーンの彫刻公園の夜。花火が上がり、コンクリートの動物たちを一瞬照らし、また暗くなる。
ビル・ヴィオラ(Bill Viola)、キラ・ペロフ(Kira Perov)。「Martyrs (Earth, Air, Fire, Water)」。
四人、四つの元素、セント・ポール大聖堂の通路の奥に立つ四つの縦長のスクリーン。「Martyrs」は犠牲についての作品ではない。持ちこたえる人を見せる。
カラ・ウォーカー(Kara Walker)。「A Subtlety, or the Marvelous Sugar Baby」。
白い砂糖で覆われたスフィンクスの女、糖蜜の跡が壁に残る倉庫に横たわる。甘さが、その歴史の前に置き直される。
フィリダ・バーロウ(Phyllida Barlow)。「dock」。
安い素材でできた七つの彫刻が、百メートルの新古典様式のホールをふさぐ。来場者は回りこみ、身をかがめ、見上げなければならない。
ピエール・ユイグ(Pierre Huyghe)。「Untitled (Human Mask)」。
仮面とかつらをつけた猿が、もう客のいないバーを動きまわる。人がいなくなったあとも、習慣は続く。
プロペラ・グループ「The Living Need Light, the Dead Need Music」
メコンデルタの葬列には、ブラスバンド、雇われた泣き女、大道芸人がいる。悲しみと喜びが同じ行列を歩く。
カミーユ・アンリ(Camille Henrot)「Grosse Fatigue」
手が窓を次々とひらき、声が世界の誕生を唱える。カミーユ・アンロは、すべての知を集めようとすることがどれほど疲れるかを見せる。
ヒト・シュタイエル(Hito Steyerl)「How Not to Be Seen: A Fucking Didactic Educational .MOV File」
ヒト・シュタイエルは、見られない方法についての映像講義を作った。可笑しく、やがて恐ろしく、また可笑しい。
ジェームズ・タレル「Aten Reign」
グッゲンハイムのロタンダは、入れ子になった光の塊になった。色はとらえられないほどゆっくり変わる。作品は、ずっとそこにあったもの。壁と壁のあいだの空気。
ロール・プロヴォスト「Wantee」。
タイトルは、ある女性の口癖の問いから来ている。お茶はいかが。ロール・プロヴォストはそのまわりに架空の家族を作り、ターナー賞を受けた。
ヴォルフガング・ライプ「Pollen from Hazelnut」
二十年近くかけて集めたヘーゼルナッツの花粉が、MoMA の床に黄色い長方形として敷かれる。額もなく、台座もない。
草間彌生「Infinity Mirrored Room: The Souls of Millions of Light Years Away」。
扉が閉まる。まわりは鏡、足もとは水、頭上で明滅する光。およそ45秒後、扉がひらき、ふたたび有限の部屋に戻る。
ハルーン・ファロッキ「Parallel I-IV」。
ビデオゲームの画像についての四本の映像。粗い線から、ほとんど本物に見える世界まで。ファロッキは、まだ何が欠けているのかを問う。
ラグナル・キャルタンソン(Ragnar Kjartansson)。「The Visitors」。
九人の音楽家が、古い屋敷の部屋にひとりずつ入り、一時間以上、ひとつの短い歌をくり返し歌う。
ランダム・インターナショナル(Random International)。「Rain Room」。
濡れずに雨の中へ歩いていく。「Rain Room」はカメラを使い、雨をひとりひとりのまわりで退かせる。そして問う。私たちは制御しているのか、見られているのか。
李禹煥(Lee Ufan)「Relatum」
石は彫られない。鉄は曲げられない。李禹煥はそれらを並べるだけで、あとは間の空間にまかせる。
タシタ・ディーン。「FILM」。
ループする無音の十一分、記念碑のように直立する。タシタ・ディーンはフィルムについてのフィルムを撮ったのではない。フィルムをそれ自身の証人として立たせた。
草間彌生「Infinity Mirrored Room: Filled with the Brilliance of Life」
暗い水を細い道が横切る。来場者のまわりで、何百もの光の点が色を変え、鏡の中で増えていく。道はひとつだけ。そしてそれは扉へ戻る。
アイ・ウェイウェイ。「Sunflower Seeds」。
遠くからは灰色の野。近くでは、磁器の種の一粒一粒が、それぞれ形づくられ、描かれている。「Sunflower Seeds」は一と多を並べる。
クリスチャン・マークレー(Christian Marclay)「The Clock」
二十四時間の映像。画面の一分が、外の一分と一致する。映像を見ることは、時間を見ること。
ヤン・ヴォー(Danh Vo)「We The People」
自由の女神の原寸大の複製を、硬貨二枚を重ねたほどの薄さの銅、およそ250片に分けたもの。一度も組み立てられない。
ス・ドホ(Do Ho Suh)「Staircase-III」
薄い赤い布の階段が、見る人の頭上に吊るされている。誰も上れない。ス・ドホは家の一部をもう一度縫い、記憶として持ち運べるようにする。
アイザック・ジュリアン「Ten Thousand Waves」。
二十三人の貝採りが、ひと晩の潮で溺れた。アイザック・ジュリアンは、九つのスクリーン、ひとりの女神、ひとつの街を通して彼らを呼び戻す。
森万里子(Mariko Mori)。「Tom Na H-iu」。
竹林の中の池に、背の高いガラスのかたちが静かに立つ。それが光るのは、遠くで星が死に、ほとんど見えない粒子をここへ送ったときだけ。
内藤礼、西沢立衛「Matrix」
絵もなく、像もない。床から染み出す水、ふたつの開口を抜ける風、そして座って眺める人々だけ。
ローザ・バルバ「The Hidden Conference」。
ローザ・バルバは35mm カメラを持って、ベルリン、ローマ、ロンドンの美術館の収蔵庫に入った。掛けられるのを待つ絵画や彫刻が、映画の出演者になった。
アピチャッポン・ウィーラセタクン「Primitive」
ナブアでは、軍が村を支配した年月について年長者たちはほとんど語らない。アピチャッポンは若者たちと暮らし、ともに宇宙船を作った。
バールティ・ケール(Bharti Kher)。「confess」。
外は暗い木と小さな窓。中では、何百ものビンディが渦を巻いて模様になり、天井から裸電球がひとつ吊るされている。
ヤン・ヘギュ「Series of Vulnerable Arrangements, Voice and Wind」
アルミのブラインド、扇風機、場所の名をつけた六つの工業用の香り。ヤン・ヘギュは、なぜ寺や海霧を瓶に詰めようとするのかを問う。
志賀理江子「螺旋海岸(Rasen Kaigan)」
写真家が海辺の村に住みつき、強いフラッシュとカラーで村の人々を撮る。やがて津波が来る。彼女は海が返してきた写真を集める。
モナ・ハトゥム(Mona Hatoum)。「Impenetrable」。
遠くからは、ぼんやり浮かぶ立方体。近くでは、何百本もの有刺鉄線の棒。誰も中に入れない。
リチャード・ロング「Cornish Slate Ellipse」
コーンウォールで切り出したスレートを、紐で印した楕円の中に立てて並べる。展示されるたびに、作品は最初から並べ直される。
シーラ・ゴウダ「Behold」。
カルナータカでは、事故よけに数本の髪を車のバンパーに結ぶ。シーラ・ゴウダはその髪をほどき、四キロメートルの縄に編み、そこにバンパーを吊るした。
クリスチャン・ボルタンスキー(Christian Boltanski)「Les Archives du Cœur」
言葉も絵もないアーカイブ。かつてそこを通った人々の心音だけ。
オラファー・エリアソン「The New York City Waterfalls」。
高さ十階近い四つの人工の滝が、川の水を川へ返す。オラファー・エリアソンはイースト川に、注意のほかは何も加えなかった。
ロジャー・ハイオンズ「Seizure」。
エレファント&キャッスルの小さなフラット。水で満たし、それから抜いた。残ったのは青い結晶の洞窟と、浴槽。
ゾーイ・レナード「You see I am here after all」。
ひとつの滝、四千枚近い絵はがき、壁に沿ったひとつの地平線。ゾーイ・レナードは、ひとつの場所がどれほど見られてきたかを示す。
ツァオ・フェイ(Cao Fei)。「RMB City: A Second Life City Planning by China Tracy」。
アバターの China Tracy を通して、ツァオ・フェイは仮想世界にしか存在しない都市を計画した。六分の映像がその最初のスケッチ。
ロニ・ホーン「Vatnasafn / Library of Water」。
本のない図書館。かわりに、アイスランドの氷河の水が24本のガラスの柱に立ち、天気の言葉を敷いた床の上に並ぶ。
トレヴァー・パグレン「The Other Night Sky」
見慣れた星座のあいだに、細い光の筋がある。どの政府も公表しない偵察衛星。パグレンはそれがいつ通るかを割り出した。
アニッシュ・カプーア(Anish Kapoor)「Sky Mirror」。
ニューヨークの真ん中に、凹面の鋼鉄の鏡。見られることを求めない。空を逆さまに映す。
蔡國強(Cai Guo-Qiang)「Head On」
先頭が壁にぶつかる。群れは来つづける。2006年のベルリンで、蔡國強は終わらない衝突を仕立てた。
カールステン・ヘラー(Carsten Höller)「Test Site」
五本の螺旋のチューブ、身をまかせるひとり、数秒のめまい。「Test Site」は、身体が思考より先に行くことを許されたとき何が起きるかを問う。
ゲルハルト・リヒター(Gerhard Richter)「Cage」
幅ほぼ三メートルの正方形のキャンバス六枚。リヒターがジョン・ケージを聴きながら描いた。筆の跡はほとんどない。スキージが絵具を引きはがし、下の古い色がのぞく。
ラファエル・ロサノ=ヘメル(Rafael Lozano-Hemmer)「Pulse Room」
センサーを握ると、電球があなたの心拍に合わせて光る。手を離すと、その脈はグリッドに加わり、先の脈をさらに遠くへ押しやる。
ブルース・ナウマン(Bruce Nauman)。「Raw Materials」。
見るもののない広大なホール。近くや遠くの声だけが、人が歩くにつれて重なりあう。
ソル・ルウィット「Wall Drawing #1136」。
ウォールドローイングは塗りつぶされ、別の場所で別の手によってまた描かれうる。保たれるのは、図と手紙と証明書。
アニッシュ・カプーア(Anish Kapoor)「Ishi's Light」。
外は石の色の殻。中は黒に近い赤。そこに立つ人を、別の誰かとして返す。
アンリ・サラ(Anri Sala)「Dammi i colori」。
ポスト共産主義の都市、新しい色に塗られた灰色の壁。アンリ・サラは夜のティラナを撮り、色に何ができるかを問う。
ディン・Q・レ(Dinh Q. Lê)「From Vietnam to Hollywood」
ディン・Q・レは写真を細く切り、ござのように編んだ。ハリウッド映画のコマと、名もないベトナムの顔が一枚を分けあう。
オラファー・エリアソン「The weather project」。
黄色いランプの半円、広大な鏡の天井、漂う霧。人々は床に寝そべり、頭上の自分たちを眺めた。
オラファー・エリアソン「Yellow versus Purple」。
ガラスの円盤、ランプ、小さなモーター。黄色い影が壁の上でずれ、紫の跡が部屋をめぐり、見る人はそのあいだに踏みこむ。
アニッシュ・カプーア(Anish Kapoor)「Marsyas」。
三つの鋼鉄の輪、タービン・ホールに張りわたされた暗赤色の一枚の膜。全体を見わたせる場所はない。見る人は、部分的な出会いから作品を組み立てる。
オマー・ファスト(Omer Fast)「CNN Concatenated」。
一語ごとに違う顔、違うニュース番組から来ている。つなぎあわせると、そのどれもが一度も言わなかったことを言う。
リクリット・ティラヴァーニャ「untitled (he promised)」。
美術館の中の、光る家の骨組み。長く見つめるものはほとんどない。作品は、人が中に入り、一緒に何かをしたときに初めて始まる。
「Tribute in Light」。
一年にひと晩、88のライトが光でふたつの塔を建て直す。夜明けに消える。空白が戻る。
シルド・メイレレス「Babel」
ラジオでできた塔。すべてが小さな声で、いっせいに話している。誰にも聞きとれない。それこそが、作品が聞くよう求めるもの。
ジェレミー・デラー(Jeremy Deller)。「The Battle of Orgreave」。
オーグリーヴでピケ隊と警官隊が衝突してから十七年、ジェレミー・デラーは、そこにいた多くの人々とともに、それを同じ野に呼び戻した。
ジュン・グエン=ハツシバ(Jun Nguyen-Hatsushiba)「Memorial Project Nha Trang, Vietnam」
ニャチャン沖の海底で、漁師たちがシクロを砂の上で引き、息継ぎに浮かび、また潜って引く。動きつづける十三分の記念碑。
マイケル・ランディ(Michael Landy)「Break Down」
十四日、100メートルのベルトコンベア、7,227の品。終わったとき、マイケル・ランディは何も持っていなかった。
レイチェル・ホワイトリード(Rachel Whiteread)「Untitled (Stairs)」
三つの踊り場のある階段を、中まで詰めて型どりし、九十度回した。レイチェル・ホワイトリードは新しい家を、見つけたときのままに保った。
マーティン・クリード(Martin Creed)。「Work No. 227: The lights going on and off」。
部屋には何もない。ついては消える明かりだけ。そして、自分が部屋に立っていると初めて気づく、見る人。
マイク・ネルソン(Mike Nelson)。「The Coral Reef」。
扉は別の部屋へ、さらに別の部屋へと続く。椅子はある。書類もある。人はいない。来場者は、不在の暮らしのあいだで迷う。
トニー・アウスラー「The Influence Machine」
煙に映る顔、壁を叩く手、暗い公園に漂う声。トニー・アウスラーは、私たちのかわりに話す機械の歴史を語る。
ジャネット・カーディフ(Janet Cardiff)。「The Missing Voice (Case Study B)」。
ヘッドフォンをつけ、再生を押し、ひとりの女性の声についていく。ジャネット・カーディフは、イーストロンドンの散歩を、行方不明の女性の物語に変える。
ルイーズ・ブルジョワ「Maman」
細い八本の脚、大理石の卵を抱えた袋、母を意味する名。「Maman」は守ると同時に、不安にさせる。
マーク・レッキー(Mark Leckey)。「Fiorucci Made Me Hardcore」。
1960年代末から1980年代末まで、ダンスフロアの光の下で回る身体。マーク・レッキーは、インターネットが誰にでもそうする前に、それらを集めた。
ドリス・サルセド(Doris Salcedo)「Untitled」
ひとつの家具、その内側をセメントで満たす。引き出しはひらかない。もう何も収められない。
中谷芙二子「Fog Sculpture #08025 (F.O.G.)」
一時間に一度、美術館の横の池から霧が立ちのぼり、すべてを覆い、晴れていく。風、湿度、気温が作品のかたちを決める。
ジェニー・ホルツァー(Jenny Holzer)。「Installation for Bilbao」。
グッゲンハイム・ビルバオの湾曲した展示室に、流れる光の柱が九本立つ。言葉は止まらず、失われた誰かについて、三つの言語で語る。
ピピロッティ・リスト(Pipilotti Rist)。「Ever Is Over All」。
青いドレスの女性が微笑みながら通りを歩き、花で車の窓を割る。その横で、花の野がゆっくりと揺れる。
ビル・ヴィオラ(Bill Viola)。「The Crossing」。
ひとりの男が闇からゆっくり歩み出る。片側では水が落ちつづけ、やがて彼を消す。もう片側では火が立ちのぼる。そしてすべてがまた始まる。
ダン・フレイヴィン(Dan Flavin)「untitled (Marfa project)」
U字形の建物が六棟、それぞれに廊下がふたつ、どの廊下にも光の仕切り。色は棟から棟へと移り、やがて四つが出会う。
モナ・ハトゥム(Mona Hatoum)。「Present Tense」。
床に並べた二千二百個のナーブルス石鹸。小さな赤いビーズがその上に境界を描く。石鹸は溶ける。その香りはすぐにそれとわかる。
ナム・ジュン・パイク(Nam June Paik)。「Electronic Superhighway: Continental U.S., Alaska, Hawaii」。
州ごとにネオンの輪郭、輪郭ごとに流れる映像。ナム・ジュン・パイクは、インターネットが家庭に入ってくるちょうどそのとき、テレビでアメリカを描いた。
リチャード・セラ(Richard Serra)「The Matter of Time」
八つの鋼鉄のかたち、ひとつの長い展示室、狭まり、広がる通路。リチャード・セラは時間を見せない。その中を歩かせる。
ジャン・ホァン「12 Square Meters」
公衆便所に、蜂蜜と魚油を全身に塗った男がじっと座る。蝿が群がる。一時間後、彼は池へ歩いて入る。
ダグラス・ゴードン(Douglas Gordon)「24 Hour Psycho」
二時間に満たない映画を、ひと昼とひと晩に引き延ばす。誰も全部は見ない。おそらくそれこそが、ゴードンの望んだこと。
レイチェル・ホワイトリード(Rachel Whiteread)「House」
壁をはがされ、内部空間のコンクリートの型だけが残った家。「House」はイーストロンドンに三か月足らず立ち、そして消えた。
スティーヴ・マックイーン「Bear」。
音はない。ふたつの身体、一筋の光、交わされるまなざしだけ。沈黙の中で、見る人は自分の息を聞きはじめる。
ジェフ・クーンズ(Jeff Koons)。「Puppy」。
鋼鉄、土、花の咲く植物。けっして静止しない巨大な子犬。その毛並みが生きているから。
アーニャ・ガラッチオ「preserve 'beauty'」
大きなガラス板の裏に押し当てた生花を、そのまま枯れるにまかせる。作品は花ではない。色と香りが変わっていく数週間である。
コーネリア・パーカー(Cornelia Parker)「Cold Dark Matter: An Exploded View」
木の小屋、誰も捨てられなかった物、爆発。それから焦げた破片をひとつずつ裸電球のまわりに吊るし、その影が壁を覆う。
フェリックス・ゴンザレス=トレス(Felix Gonzalez-Torres)「"Untitled" (Portrait of Ross in L.A.)」
ギャラリーの隅に、色とりどりの包み紙の飴の山。来場者はひとつずつ持っていく。肖像は小さくなり、また補われる。
Susan Hiller. From the Freud Museum.
ガラスケースの中に、五十の段ボール箱。それぞれに小さな物がいくつかと、ラベル。ひとつずつならありふれたもの。集まると、記憶の地図になる。
クリスチャン・ボルタンスキー(Christian Boltanski)「The Reserve of Dead Swiss」
四十二枚の死者の写真。名前もなく、物語もない。それぞれにランプが覆いかぶさる。ボルタンスキーはそれを「保存庫(reserve)」と呼んだ。
イリヤ・カバコフ(Ilya Kabakov)「Labyrinth (My Mother's Album)」
細い通路、壁に沿って七十六の額。明るい町の写真と、そうではないと語る母の言葉。
レベッカ・ホルン(Rebecca Horn)。「Concert for Anarchy」。
逆さに吊られたピアノが、長いあいだ黙っている。やがて蓋がはじけるようにひらき、鍵盤が飛び出し、壊れた和音が鳴る。そして何事もなかったかのように、すべてが戻る。
ルイーズ・ブルジョワ「Cell (Eyes and Mirrors)」
鉄の網とガラス板の檻。中では黒い石の目が外を見つめ、鏡が鏡を映す。見る人は外にとどまり、視線だけが中に入ることを許される。
ロバート・ゴーバー「Untitled」。
部屋の隅で、壁から人の脚が一本出ている。ズボン、毛の靴下、革靴、毛の生えた肌の一部。蝋でできている。あまりに本物らしく、見る人は後ずさりする。
アンゼルム・キーファー「Lilith」
上から見た都市、灰色の灰に覆われ、キャンバスに銅線が走る。キーファーはそれを、ユダヤの伝説の破滅の悪魔の名で呼ぶ。
グレッチェン・ベンダー「Dumping Core」。
13の画面が、ロゴと広告と戦争のニュースを同時に明滅させる。グレッチェン・ベンダーはテレビを速く流しすぎる。よりはっきりと見えるように。
ミエレ・レイダーマン・ユケレス(Mierle Laderman Ukeles)「Touch Sanitation Show」
ごみの中継施設の中での展覧会。街を清潔に保つ人々と、何年も握手をつづけたあとに。
Peter Fischli と David Weiss。Equilibres (Quiet Afternoon)。
おたま、椅子、瓶が、数秒のあいだ互いの上に立つ。そして倒れる。残るのは写真だけ。
Joseph Beuys. The End of the Twentieth Century.
三十一個の玄武岩の塊が床に散らばる。それぞれに、フェルトと粘土を張った円錐形のくぼみがあり、石の栓がもとの位置に戻されている。
トゥンガ(Tunga)。「Trança」。
髪は軽く、鉛は重い。トゥンガは鉛を長いおさげに編み、ゆずりあわないふたつの感覚のあいだに見る人を置いた。
アントニー・ゴームリー「Bed」
蝋を染みこませたパンを重ねた塊。真ん中に、横たわる身体のかたちのくぼみがふたつ。食べることでつくられた。「Bed」は不在で描かれた肖像。
ドナルド・ジャッド(Donald Judd)「15 untitled works in concrete」
同じ大きさの中空のコンクリートの箱が、草の上に一列に並ぶ。一日の時間ごとに、影がそれらをもう一度描く。
ジュゼッペ・ペノーネ(Giuseppe Penone)「Tree of 12 Metres」
四角く製材された一本の角材。ペノーネは節をたどりながら年輪をはがしていき、やがて材木の中から若い木が現れる。
ロニ・ホーン「Gold Field」。
ほとんど厚みのない純金の一枚が、床にじかに置かれる。台座も額も物語もない。
テッチン・シェイ「One Year Performance」
一時間ごとに打刻し、打刻のたびに写真を一枚、一年間。伸びる髪が、ふたつめの時計になる。
ダラ・バーンバウム(Dara Birnbaum)「Technology/Transformation: Wonder Woman」
爆発、回転、スーパーヒーロー。バーンバウムはテレビの数秒をとり、魔法がその枠を見せるまでくり返す。
マリオ・メルツ(Mario Merz)。「Igloo, Do We Go Around Houses, or Do Houses Go Around Us?」。
六十五枚のスレート板が、鋼鉄の枠のまわりに螺旋を描く。掃除してはならない、汚れて割れたガラス七十四枚。そしてひとつの問い。私たちが家のまわりを回るのか、家が私たちのまわりを回るのか。
マーサ・ロスラー(Martha Rosler)。「Semiotics of the Kitchen」。
ロスラーは台所の道具をひとつずつ手に取り、名前を言い、間違った使い方をする。六分の白黒映像。台所はもう安全な場所ではない。
マリーナ・アブラモヴィッチ(Marina Abramović)。「Rhythm 0」。
テーブル、七十二の物、六時間じっと立つひとりの女性。「Rhythm 0」が測るのは作家の忍耐ではない。見ている人々である。
ナム・ジュン・パイク(Nam June Paik)。「TV Garden」。
本物の植物、本物の葉、本物の土。そのあいだで、大小さまざまなスクリーンが同じテープを明滅させる。咲くのが光である庭。
ナンシー・ホルト(Nancy Holt)。「Sun Tunnels」。
砂漠に X 字に置かれた四本のコンクリートの筒。夏至と冬至には、太陽がその中で昇り、沈む。ほかの日には、光が小さな穴から落ちる。
ロバート・スミッソン「Spiral Jetty」。
1970年4月、ロバート・スミッソンは六千トンを超える黒い玄武岩をユタの塩湖に押し出させ、反時計回りの螺旋をつくった。それ以来、水と塩と時間が残りを担ってきた。
ダン・フレイヴィン(Dan Flavin)「'monument' for V. Tatlin」
オフィスで使うような白い蛍光管が、塔のように頂へ段をなして上がる。ダン・フレイヴィンはそれを、引用符つきで記念碑と呼んだ。
Joseph Kosuth. Clock (One and Five), English/Latin Version.
壁掛け時計、その写真、英語とラテン語の定義。コスースはそれらを一列に掛け、本当の物はどこにあるのかを見る人に問わせる。
グスタフ・メッツガー「Recreation of First Public Demonstration of Auto-Destructive Art」
枠に張ったナイロンの布。酸が触れると、布はひらきはじめる。かたちは、素材が消えることでつくられる。
アーサー・ジャファ。APEX。
雑誌や新聞から何十年も切り抜いてきた図像を、8分の映像に圧縮する。「APEX」は、アーサー・ジャファが像を重ね合わせる場所。
現代アートとは何か。
現代アートに、ひとつの定義はない。絵画であり、映像であり、ひとつの部屋であり、じっと座る一人の人である。共通するのは、答えるより多く問うこと。
Rael San Fratello「Teeter Totter Wall」。
紙に描かれたひとつの着想が、10年後、国境の壁を貫く三つのピンクのシーソーになった。1時間に満たないあいだ、両側の子どもたちが一緒に遊んだ。