エッセイ · 嗅覚アート

嗅覚アート。

Olfactory Art.

香りは素材であり、装飾ではない。

嗅覚アート:展示空間で主な素材として使われる香り


香りが主な素材になるとき

絵画は色を使う。彫刻は石、木、金属を使う。写真は光を使う。嗅覚アートは香りを使う。

定義は単純だが、その帰結は単純ではない。歴史の大半において、香りは何か別のものに付き添ってきた。寺院の香、儀式の香水、居間の花。より重要な何かのために場を整える役だった。嗅覚アートはそれを反転させる。香りはもはや背景ではない。香りが作品である。

嗅覚作品は、良い匂いである必要はない。多くの作品は、あえて不快な匂いを使う。体臭、都市の匂い、人が忘れたがる場所の匂い。目的は鼻を喜ばせることではない。毎日使いながら、ほとんど考えることのない感覚に気づかせることだ。

短い歴史

1921年、マルセル・デュシャン(Marcel Duchamp)は、既存の香水瓶に自作のラベル「Belle Haleine」を貼った。作品は瓶であって、中の液体ではなかった。それでも、香水が芸術作品としてギャラリーに入った最初の例のひとつだった。

香りが本当に素材となったのは、20世紀後半になってからである。インスタレーションは、来場者が入り、歩きまわり、とどまる部屋を開いた。部屋には空気があり、空気は匂いを運ぶことができる。

1994年、クララ・ウルシッティ(Clara Ursitti)は小さな部屋をつくり、合成の香りだけを満たして、それを自画像と呼んだ。以来、作家たちはさまざまな方向へ進んだ。シセル・トラース(Sissel Tolaas)は都市の匂いや、恐怖を感じた人々の汗を集める。ピーター・デ・クーペレ(Peter de Cupere)は香りで木をつくった。上田麻希(Maki Ueda)は、来場者が鼻で迷う空間をつくる。オズワルド・マシア(Oswaldo Maciá)は香りを音の隣に置く。

彼らに共通する様式はない。共通するのは、鼻もまた目に劣らず、世界を知るひとつの方法だという確信だ。

見えず、一時的で、個人的

香りには、他のどんな素材とも違う三つの性質がある。

第一に、見えない。写真に撮ることも、本に印刷することもできない。嗅覚作品について書かれたどんな文章も、この文章も含めて、まさに最も重要な部分を欠いている。

第二に、一時的である。蒸発し、薄れ、温度や湿度で変わる。絵画は何世紀も変わらずに掛かっていられる。嗅覚作品は展示のたびに、つくり直され、起動され、補充されなければならない。物よりもパフォーマンスに近い。

第三に、人によって異なる。同じ分子が、ある鼻には木として、別の鼻には古い紙として感じられ、三人目にはまったく何も感じられない。香りは記憶とも結びついている。ひとつの匂いが、ある人を祖母の台所へ連れ戻し、隣に立つ人には何の意味ももたない。

この三つの性質は、ふつう弱点とみなされる。嗅覚アートはそれを主題にする。

よくある形

嗅覚作品は、インスタレーションであることがある。香りで満たされた部屋に、来場者は別の気候に入るように足を踏み入れる。

音、映像、動きとともに香りが移動する、多感覚の作品であることもある。

概念として組み立てられた香りであることもある。瓶に詰められても売られず、テキストのように読まれるための香り。

直接の出会いであることもある。作家がある地区の匂いを集め、そこに住む人々へ返す。

形が何であれ、問いは変わらない。見ないとしたら、私たちは世界について何を知っているのか。